まきのとおる物語

ドラマチックに憧れるしがないサラリーマンの青春ストーリー

第10話「私の妄想台本 〜コーヒーショップでの出会い編〜」

妄想はひたすら続く。
 
 
 
〜前回までの妄想台本〜
 
 
 
カフェで偶然出会った外国人女性に思い切って声をかけてしまった僕! さぁ、妄想台本が本格的に始まります!
 
 
 
 
 
僕「あの~、すみません……」
 
 
 
彼女「はい、なんでしょう?」
 

第9話「妄想台本」

月曜日、仕事を終えた僕はまっすぐ帰宅した。

簡単に食事を取り一息ついた後、自分が話したい会話をまとめようと思い、早速『自分専用の台本』を作りに入る。

「さて、どんなシーンを作ろうか……」

外国人と友達感覚で話したい。そのために話したい会話を先にまとめておくということが今回の「妄想台本」のコンセプトだが、自分には外国人の友達など一人もはいない状況。となると、やはり「出会い」のシーンから書き始めるのが妥当だろうか。

「相手は男性にしようか、それとも女性にしようか……」

少し迷ったが、昨夜のジョーブラックのことを思い出して外国人の女性に即決する。

「出会う場所は……」

頭の中を妄想でフル回転させる。

「おしゃれなコーヒーショップにしよう! そして、出会いのタイミングは……」

はっきり言って、実際には起こりえないシーン、しかも外国人女性との出会いシーンをを二十六歳にもなる成人男性が真剣に「妄想」している姿というのは、少々……いや、かなり気味が悪いが、そこは目をつぶって頂いてもう少しだけお付き合い願たいと思う。

以下全て妄想。

タイトル『妄想台本』〜コーヒーショップでの出会い〜

場所は、どこかのおしゃれなコーヒーショップ。僕は一人でコーヒーを飲んでいる。しばらくする欧米人らしき女性が入ってきて、僕の隣の席に座る。

僕:(おっ、隣にかわいい外国人が座った……めっちゃ緊張する~)

若干ソワソワする僕。となりにいる外国人女性は携帯をいじりながら、優雅にコーヒーを飲んでいる。

僕:(なんともまぁ、コーヒーがお似合いなこと……)

そんなことを思っていると……。

どういうわけか突然! 

その外国人女性が手にしているコーヒーカップが彼女の手からするりと滑り落ちてしまい、テーブルの上に落ちた衝撃でカップの中のコーヒーが自分に飛び散る!

僕:「熱っ!!」

コーヒーの熱さに思わず声を出してしまう、そして突然のことにまだ状況を理解していない外国人女性、ものすごく慌てた表情をしている。

外国人女性:「あっ!! ごめんなさい、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

僕は熱いのをなんとか我慢して、この状況をやり過ごそうとする。

僕:「大丈夫です! 大丈夫です!! 大したことないですからっ!」

僕:(めちゃくちゃ熱いけど~)

あたふたしている外国人女性を横目で気にしつつ、僕のシャツにかかった飛び散ったコーヒーをティッシュでひたすら拭き続ける。

僕:(あ~、拭いただけじゃこのシミは消えないだろなぁ……)

僕がティッシュでぱたぱたと服を拭いている光景を心配そうに見つめる彼女。

外国人女性:「本当に申し訳ありませんでした……。あの……クリーニング代ぐらいは私に出させて頂けませんか?」

彼女に話しかけられて少しビックリする僕。

僕:「あ、大丈夫ですから、ほんとに、全然気にしないで下さい」

外国人女性:「いや、ですがそれでは少し……悪いのは私ですし……」

僕:「いやいや、どうせ安物ですから。本当に気にしないで大丈夫ですよ」

大して高くもない洋服のためにクリーニング代をもらうのもどうかと思って断ったが、彼女はまだ気まずい様子。

外国人女性「それなら……飲み物のおかわりはどうですか? ほらっ、私のコーヒーも無くなっちゃいましたし」

彼女は少し照れながら答える。僕もそれぐらいならとうなづく。

僕:「じゃあ、お言葉に甘えて」

外国人女性:「少し待ってて下さいね、買ってきますから。あっ、ちなみに何を飲まれますか?」

コーヒーにしようかと迷ったが、二杯連続コーヒーというのも少々きつかったので、ここはカフェラテにしといた。彼女は席を立ち、レジカウンターに飲み物を買いにいく。

彼女が飲み物を買いに行っている間、まさかの事態いろいろと考えてしまう僕。

僕:(いやぁ、これはちょっとまずいなぁ……)

僕:(おかわりをもらうのはいいけど、その後どういう展開になるのかが想像がつかない……)

僕:(さすがに、今この場を立ち去るってのも気まずいし……どうしようかなぁ)

そんなことを考えていると、飲み物を持った彼女が笑みを浮かべながらやってくる。

外国人女性:「はい、カフェラテです。さっきは本当にすみませんでした」

僕は考えがまとまらないまま、彼女から飲み物を受け取りお礼を言う。

僕:「あっ、すみません。わざわざありがとうございます。」

彼女は僕の隣の席に座り、淹れたてのコーヒーをすすりながら若干ソワソワしている様子である。

二人の間に少し気まずい空気が流れる。

僕:(やばい! やばすぎる!! 飲み物をもらった以上、さすがにすぐには帰れないし…… 本当にどうする自分!?)

カフェラテをひたすら飲み続ける僕……。これ以上の沈黙はもう耐えられない。何かアクションを起こさないと!

僕:(えーい! こうなったら、いくしかない!!)

僕は思い切って彼女に声をかけてみた。

第8話「ドラマチック」

「いや〜、面白かった!」

 

帰宅後、昨日見ていたドラマの残りを一気に見てしまった。

 

ドラマ初めはいろいろと悩んでいたヒロイン、しかし悩みがありながらも、とにかく一生懸命な姿がヒロインの周囲をどんどん変えていく。そして、ヒロインが一方的に思いを寄せていた人も、彼女ひたむきな姿に次第に好意を抱くようになる。その後、イロイロな駆け引きやらライバルが現れても、最終的には恋も仕事も上手くいってめでたくハッピーエンディング。

 

ストーリー的にはかなりベタなのかもしれないが、そのベタさがいい。変に難しい話にせず、誰もが見ていて共感できるそのストーリーは非常にドラマチックでロマンチックであった。

 

「ときめいてしまったなぁ……」

 

見終わった後の充実感をかみしめる。

 

こういうドラマを見てしまうと、フィクションにも関わらずドラマの世界と現実の世界をいつも比較してしまう。そして、いつも決まって思ってしまうことが、

 

「現実で起きないかなぁ……」

 

である。

 

男性には珍しいかもしれないが、僕は、割とドラマチック、そしてロマンチックなものが好きである。ドラマでも映画でも、男女が一つのソファで一緒に見れるような作品は一応メモしてある。ちなみに最近の「個人的ロマンチックランキングベスト一位」は『ジョーブラックによろしく』という映画のなかでブラッドピット演じる「ジョー」が、クレアフォーラニ演じるヒロイン「スーザン」とコーヒーショップで出会うシーンだ。

 

コーヒーショップで、お互い初めて出会ったのにも関わらず、二人の会話の中で、それぞれの価値観を話しているうちに、だんだんと惹かれていくのが分かるあの数分のシーンは大好きだ。何よりもジョー演じるブラッドピットの表情、仕草の一つ一つが本当に素晴らしい。

 

「あんな出会いと会話をしてみたい……」

 

かなり影響を受けているようである自分。しかし、そんなドラマチックな出会いなんて現実世界では数パーセントの確率でしか起こらないし、あったとしても、そこで目の前の女性をときめかせるような話なんて自分には絶対にできないのに、そんな馬鹿げた妄想を抱いている。

 

日曜日がそろそろ終わりに近づいてきたので、歯磨きをしてベッドに横になる。

 

天井を見つめながら、今日の一日を少し振り返る。

 

いろいろと思いを巡らせた今日一日だったけど、今日が「なにかのヒント」になったのかなぁ、そう思いつつ、その日は就寝した。






第7話「大変そうだけど……」

一息つき、

 

次に考えたことは自分の普段の会話ではどのようなことが話されているかということ。

 

朝の「おはようございます」から始まって、夜の「お休みなさい」で終わる二十四時間の間で自分はどのようなことを話しているのか。

 

そして、「親しい友達」と話す話題や「初対面の人」と話す話題、はたまた「恋人」とデートで話す話題とはどういうものがあるのかいろいろ妄想してみる。

 

今、自身が妄想している場面で話されている言葉の全てを日本語から英語に変換出来ればもう英語を話せると自信を持って言える。

 

最初は、その場面の全てをノートにまとめようと思ったけれども、なんせ言葉というのは限りのない世界。

 

「キリがないな……」

 

あまりに途方のない作業で時間がかかると思い、まずは友人と会ったときにどのような会話の展開をするか、それについてまとめてみる。

 

 

 

<僕が友達と話すときの会話の展開ってこんな感じ!>

 

①会ったとき:「よっ!」って感じの軽い挨拶をします。

 

②会話の最初の方:「最近調子どう?」などの簡単な心境報告とかします。

 

③会話の中盤その1:「仕事がなかなかうまくいかなくて……」という仕事の話だったり。

 

④会話の中盤その2:「恋人と最近別れたんだ、泣きたい……」という恋愛相談だったり。

 

⑤会話の中盤その3:「最近太ってきたからジム通ってるんだ」という趣味や体験談などの話だったり。

 

⑥会話の終盤:「あの番組見た? おもしろかったよねー」という近頃テレビ番組などの世間話とか。

 

⑦別れるとき:「またねっ!」という別れの挨拶でバイバイ。

 

 

 

「うん、大体こんな感じかな」

 

ここまでまとめてペンを持つ手がとまる。

 

「問題は、この後か……」

 

友達と話すときの展開は分かったが、当然のことながらこれだけじゃ外国人と話せない。ここからいつも自分が話している内容とか言葉の言い回しを日本語から英語にしていく作業をしなければならない。果たして、どうやってやるか……。

 

「なんか、台本的なものを作っていくしかないような気がするけど」

 

「自分が『こんなことを話したい』と思うようなドラマの台本みたいなものを作っていくしか……」

 

考えたのは、まず自分が話す内容や言い回しそのままをまず日本語で文字に起こす。そして、次にそれら一つ一つを翻訳していって、最終的には英語で書かれた自分専用の自分が話したい内容が書いてある台本を作成するということだ。

 

「これは……めちゃくちゃ大変でしょ!」

 

この前、友達と居酒屋で飲んでいた時間は約三時間、その間ずっとしゃべりっぱなし。その話した内容を文字に起こすだけでも骨の折れる作業になることは間違いないのに……。

 

「さらにそれを、英語に訳すなんて!!」

 

「さすがにムリでしょ〜」

 

弱音を吐く自分。想像するからに大変な作業だから仕方のない気もするが、現時点では外国人と英語で話せる一番の近道なのではないかと思われ。

 

「どうしよ……」

 

どうします?

 

「うーん……」

 

「一回だけやってみるかぁ」

 

ということで、自分専用の台本を作ることにチャレンジしてみることにした。ペンを持ち、ノートに『自分専用の台本を作ろう!』と書き、少しノートを眺めたあと静かに閉じる。

 

「疲れたな。帰るとしますか」

 

もう冷たくなってしまっている残りのカフェラテを一気に飲み干し、喫茶店を出る。外はもう陽が傾きかけ、気温も下がっている。

 

「うわっ、さむ〜!」

 

「鍋でも食べたいなぁ」

 

とは思いつつも、この日もいつもと同じようにコンビニで弁当とビールだけ買って帰宅した。

第6話「たんなる思いつき?」

「楽しく……」

 

「勉強……」

 

社会人になって毎日心身共につらい日々を送っている。ここで外国語の学習もつらいとなってしまうと、間違いなくサボってしまい、元のぐうだら生活に逆戻りだ。少しでも楽しいと思える学習方法を考えている真っ最中である。

 

「楽しく……勉強……」

 

「楽しい……勉強……」

 

「楽しい……楽しい……」

 

「う〜ん……」

 

「…………」

 

「んー、楽しいってそもそもなんなんだ!」

 

自分にとっての「楽しい」とは一体全体何だろう? 今までの人生でどのようなことに楽しさを見いだして来たのか考える自分。

 

「なんかこう……感動すること?」

 

わりと早く答えが出た気がする。それは勉強でもなんでもいいが、そこに「感動」があるとやっぱり楽しさが増すのではということだ。

 

恥ずかしい話、実は大学に入る前に一年間大学浪人をしている私である。予備校に入り一年間勉強していたのだが、その予備校の授業は本当に感動したのを今でも鮮明に覚えている。講師が授業で繰り出す話のなんともおもしろいことおもしろいこと。今まで高校の授業でしか勉強をしていなかった自分にとっては本当に圧巻の毎日だった。

 

少し話が逸れてしまったが、とにかく学習に「感動」を入れること。これをまず考えることが大事かと。とりあえずペンを持ち、「感動」という文字をノートの空いているスペースに書いておく。

 

机に向かって勉強することそのものは感動になるかといえばそうじゃなく、その結果として現れる「英検◯級」取ったとか、「TOEIC ◯◯◯点」取ったという結果がそのまま感動になると思う。

 

しかし、今回の僕の場合そういった試験に受かるという類いが理想の自分に近づけるというわけではない。

 

「資格とかを取るのではなく、海外の人とかと気兼ねなく話せるような感じになりたいんだよなぁ……」

 

まだ言葉にするのは難しいが、おそらくコミュニケーションに重点を置きたいのだろう。

 

それも、日本人にありがちな受け身のコミュニケーションではなく、もっと自発的にしょうもない話とかで外国人と盛り上がれるようなコミュニケーションを望んでいる。

 

「これが出来たら普通にうれしい!」

 

そりゃ、うれしいはずだ。かなりの語学レベルがないとそこまでは到達しない。仮にそのようになることをゴールと設定して、どのような勉強方法があるか、まずどのような感動を求めて学習するか?

 

「『わーぉ! 自分、結構話せてるじゃん!』 っていう感動かな?」

 

おそらく現段階の自分は『外国語を話せている』ということに感動してしまう気がする。

 

例えば、今の僕だとアメリカ人に「How are you?(調子はどうですか?)」と言われて「I’m fine.(元気です。)」で会話が終了してしまう。しかしながら、肝心なのはこの後で、この後の話の展開を日本人の友達と話しているのと同じ感覚で、「最近仕事はどうよ?」とか「そういえばさ、この間のテレビ番組見た?」と展開させることが出来たら、わりかし『話せている』という感動を実感出来ると思うのである。

 

「そういえば、この間友達と会ったとき何の話をしたっけか……?」

 

つい最近、大学生時代の友達と久々に飲みに行ったときの話を思い出す。

 

「よっ!」という挨拶から始まり、話した話題は「最近仕事の調子どう?」「結婚とか考えてる?」「あいつは今何やってるんだろう?」「最近かわいい芸能人は?」など、どうでも良い話で盛り上がって結局三時間ぐらい居酒屋で盛り上がった。

 

親しい友人なら大体いつもこんな話で盛り上がる。

 

「あれ?」

 

ここで一つの疑問が頭の中で浮かび上がる。

 

「自分の会話の展開って、そういえばいつも同じ感じじゃない?」

 

さっきの飲み会の場合だと「挨拶」から始まって、「近況報告」「恋の話」「世間話」「別れの挨拶」の順で終わっている。もちろん例外もあるが、この展開は日本人の友達とコミュニケーションする上で誰にでも当てはまる。

 

「…………」

 

「このコミュニケーションの展開を学べばいいんじゃない?」

 

まず、人との会話のコミュニケーションの展開をどのように行っているか。これをしっかり理解した後、いつも日本語で話している内容や似たような話題を英語で勉強すればいいと思ったのである。

 

単語帳の例文、例えば「this is a pen」というフレーズのように、いつ使うか分からないものから勉強しないで、自分に起こった身近な話題から始める。そうすれば、同じ話題を英語に置き換えるだけで同じ話題で外国人とも話せてしまうというわけだ。

 

そうなってくると、次に考えることは自分は普段どのような話をしているのか。それについてをより深く考える必要があるが、

 

その前に、ペンを持ちノートの開いているスペースに「コミュニケーションの展開を学ぶ」とだけ書いてまた少しばかり休憩する。

 

第5話「コーヒーおかわり」

いつの間にかお昼になり、少しお店がざわついてきた。

 

「あれま、コーヒーがない」

 

カウンターに行き、二杯目を注文する。甘いのを飲みたいと思い、二杯目はカフェラテにした。

砂糖を多めに入れて甘めのカフェラテをすすりながら、ノートを眺めてまた考えてみる。

 

『外国語』をやることが『理想の自分』になれる……のかもしれないが、やはり問題は……。

 

「どうやって外国語を勉強すればいいかねぇ……」

 

一生懸命やって挫折。また思い立って一生懸命勉強しても、それまた挫折してきた今までの自分。これからまた始めるにしても果たしてうまくいく方法があるのか、ましてや学生時代の頃よりも余裕がない現状。今回の想いもまた挫折で終わってしまうのでは……ついついネガティブに考えてしまう。

 

「大体、勉強というのが僕には向いていない!」

 

相変わらずの情けなさ! 愚痴はまだ続く。

 

「単語とか文法の暗記とか、あとは試験のための学習ばっかりでさ」

 

「別にテストで良い点をとることが、僕の理想じゃないし……」

 

ほとんどが言い訳ばかりだ。

 

「でも、なんというか……こう、もっとさ、楽しく出来ると思うんだよね」

 

「楽しく出来れば、僕はイケるね!」

 

「 間違いなくイケるね!! 」

 

外国語を楽しみながら学習する、そんなことが出来るのか?

 

「まぁ、考えますか……」

 

とりあえず、ペンを持ちノートに『楽しく』と書いておく。

第4話「ふたつのキーワード」

ノートには『海外』『外国語』というの二つのキーワード。ここからどうやって膨らませようか少し悩み中な自分。

 

「ふ〜む、いきなり海外に行くってのはちょっと……」

 

いきなり海外に行ってチャレンジ!っていうのも非常にカッコいいが、僕にはお金もないし時間もない、いやこれは単なる言い訳で、今の僕にはそんな根性がないのだ。

 

「これは後回し!!」

 

次のキーワードは『外国語』

 

なぜだか知らないが、多くの人が勉強したいと思っているものの一つであり、その大半は恐らく挫折してしまう学習の一つ。何を隠そう今の僕もそのうちの一人。

 

「なーんか魅力あるんだよなぁ……」

 

その魅力は一体どこからくるのだろう?

 

あくまでも自分のイメージだが、やはり外国語というのは非日常的で華やかな、もしくは刺激的な世界で使われるツールの一つだからではないだろうか。

 

多くの人は外国語を学習することで、その非現実的な世界に少しでも触れることができるとなんとなく分かっていて、とりあえず外国語学習に手を出しているのだと思う。

 

「あくまで持論だけどもね……」

 

しかしながらその外国語学習、自分の場合その大半を英語に費やしているが、中学校から習い出して大学までおよそ十年以上費やしていることになる。年数にすればかなりのものだが、それで英語を話せる自信があるかと言われれば……。

 

「……ないなぁ」

 

今外国人に「How are you?」と言われても、自分は「I'm fine.」とだけ言ってその後はひたすらシドロモドロ……とてもじゃないけど会話どころじゃない。

 

再度、過去の日記を読んでみると、至る所に外国語学習の勉強の跡が残っている。考えてみると大学のときも、海外の言葉を話したいと思って単語や文法を覚えようと努力したし、社会人になったばかりの頃もそれなりに熱を入れて勉強していたような気がする。しかし、そのいずれのときもいまいち成果が上がらず、しまいにはやらなくなってしまった。

 

しかしながら、「外国語を話せるようになりたい」という想いは、不思議なもので今でもずっと頭の片隅に住み続け、自分に小さなプレッシャーを与えている困ったストレスになっている。

 

外国語を話している自分というのが、理想の自分なのだろうか?

 

「確かに話せればカッコいいけど……」

 

とりあえず、ノートに『外国語』の下に『理想の自分?』と書いておく。